ジャズとプログレと私 | さじやんのDCDC(デコデコ)日記

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ナイーブな団塊ジュニアの僕が聴いてきた音楽、読んできた本、身辺雑記など。アングラ・サブカル好きな諸兄に楽しんで頂けると嬉しいです

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ジャズとプログレと私

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今更だが、ここまで記事のタイトルに「ルーツミュージック」とか大層なことを書いてきたけれど、単に「こいつは今までこんな人と出会い、こんな音楽を聴いてきたのか」ということを知っていただくための自己紹介だ。

ブログの(ふざけた)タイトルも「日記」だが今のところただの回顧録。同世代で似たような趣味の方やちょっとでも嗜好が重なる方などに気軽に読んで頂き、懐かしんでもらったり、音楽の幅を広げていただいたりするきっかけになれば嬉しい。

そして、何と言っても今アンパンマンと童謡と苺と干し芋に夢中な娘(1歳)が将来大きくなって「あらお父さまはこんな音楽を聴いていたのね」と知ってもらえればいいなと思って、記録として書いてる。

そして、早く「日記」として最近の音楽のことも書けるように、駆け足でここまでの遍歴を振り返っている、という遅すぎる前置きでした。

さて、また学生時代の話。僕の通っていた大学では3・4年生の前記・後期で4回ゼミを選び、移籍することができる制度だった。もちろん4期同じゼミを続けてもいい。

僕は3年の前期、岩竹徹さんの現代音楽のゼミに所属し、主に禁則和声とコンピュータミュージックの研究をやっていた。岩竹ゼミは主に和声の講義と、それを踏まえた実践(KORG M1での作曲)で、実践はとても楽しかった。たまにご自宅にゼミ生を集めてグランドピアノの弦にいろいろ挟んだりする「プリペアード・ピアノ」(ジョン・ケージがやってたような)も披露してくれた。

本当にいい先生だったのだが、そもそも作曲というのは数学であり、僕は数学が大の苦手であったことと、何より作曲の宿題がとてもにハードだったので挫折して1期で辞めてしまい、その後の3期はずっと岡田隆彦先生の現代美術評論のゼミでお世話になる。やはりものを書くほうが好きなようだ。

[岩竹徹さんのサイト]
http://web.sfc.keio.ac.jp/~iwatake/
[禁則和声について]
http://www.mmjp.or.jp/music-access/contents/wasei/jyoshou03/kinsoku.htm

岩竹ゼミで知り合ったのがH君。彼は凄腕のベーシストで、出会った当時からプログレ、フュージョン、ファンク、ロックまで何でも弾きこなせてしまう男だった。彼からプログレ、クロスオーバー等について色々と教えてもらった。

ソフトマシーンなどのカンタベリー系、カン、ノイ!、ゴング、アシュラテンプルのようなジャーマン系からメジャーどころのクリムゾン、フロイド、ELPまで。全く通って来なかった道なので、どのバンドも非常に刺激的だった。彼の車でよくタンジェリン・ドリームを聴いていたのを覚えている。

ゴングのメンバーは今もSystem7というかっこいいアンビエントのバンドをやっている。

これはROVO(ボアダムス/想い出波止場の山本精一がやってる人力ドラムンベースバンド)とやったときのもの。


あと彼はジャコ・パストリアスやイエロージャケッツのようなフュージョンもよく聴いていた。



そんな風に色々聴かせてもらった中で、特に好きだったのがカンとソフトマシーンだ。

[CAN]
http://www.spoonrecords.com/

どちらもメンバー交代が激しく、時期によって音楽性も異なるので、一言でプログレとは言えずジャズ的なインプロビゼーションの要素も大きい。それも後に僕がジャズに傾倒していくきっかけにっていたのかもしれない。実際H君とはその後、ジャズ研でバンドを組むことになる。




今聴いてもかっこいいなあ。ダモ鈴木。
あとキリンジ兄がソフトマシーン好きというのを何処かで読んですごく納得した。確か2か5が好きと言ってた気がする。

H君は練習の鬼だった。僕の部屋で夜、一緒にジャズギターの教則ビデオを見ていて、僕は早々に飽きて寝てしまったのだが、朝起きたら彼はなんと同じフレーズをまだ延々と繰り返し練習していた。そういうところが技術の差にでてくるのですね。

その後、前述のように岩竹ゼミは辞めてしまうのだが、アメリカへの短期留学の際、たまたまジャズ研の部長でサックス奏者のF君と仲良くなり、いろいろと好きな音楽の話をしていて「ぜんぜんジャズとか詳しくなくてもブルースでもいいよ」ということで、帰国後ジャズ研に入った。その時、H君も引き入れた。当時、部にベーシストが一人しかおらず人出が足りなかったのも理由のひとつだ。

ジャズ研ではゲッツ・ジルベルトや小野リサなどのボサノバ、チャーリー・パーカーのコンファメーション、ジョー・ヘンダーソンのブルー・ボッサなどのスタンダードをやったりした。

そういえば、僕の父は元ジャズドラマーでキャバレーまわりをしていた時期もあったそうだ。だから僕が音楽業界に進みたいといった時は猛烈に反対された。色々苦労したのだろう。

子どもの頃から家でもアート・ブレイキーやデイブ・クラーク・ファイブ、MJQ、ハービー・マンなどはよくかかっていたので、スタンダード曲自体は知っているものが多かった。が、コンボでやるとどうしてもメインのサックスにあわせてキーFやB♭にせねばならないのと、いかんせんアドリブに弱く、どっちかというとジョー・パスのようなソロギターをコピーするのが好きになっていった。

ジャズ研には後にH君の友人のM君というドラマーも引き連れてくるのだが、彼はとにかく自分が目立ちたく、ライブ中も気づくとドラムセットがどんどん前にせり出して気づくとすぐ背後にいるような感じで、彼は後に、一番前に立てるサックスに転向する。

ジャズ研はロック研に比べて人数も少なく(たしか12,3人)、和気あいあいとした感じで、よく部室にも入り浸り、そこにいるメンバーでセッションをしたりと楽しい思い出しかない。

というところでひとまず学生時代の音楽の話はおしまい。次回からは社会人以降、今に至るまでのことを書いていきたいと思います。それにしても、我ながら一貫性のない音楽遍歴だなあ。

ではまた。

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