関西アンダーグラウンドとハードコアパンク:僕のルーツミュージック | さじやんのDCDC(デコデコ)日記

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関西アンダーグラウンドとハードコアパンク:僕のルーツミュージック

僕の記事、年代や時系列のファクトは記憶が曖昧かもしれず、間違ってるところがあったらごめんなさい。

80年台後半の高校時代、ラフィンノーズからパンクを知った僕は、当然のようにSEX PISTOLS、CLASH、RAMONES、The Damned、Sham69、UK SUBS、Dischaegeなど少し前のUK/USバンドにはまっていった。

ピストルズの第一印象は「軽くてトロくてあんまりかっこよくない」だった。が、後に聴きこんで好きになる。

国内では当時すでにUK/USパンクは下火でニューウェーブの時代が来ていたようだ。

東京では1989年からイカ天も放映され、いわゆる「バンドブーム」だった(イカ天当時はすでにブームも終わりかけだったが)。

だが、イカ天が放送されない関西では独自の音楽シーンが形成されていた。

その中で最初にハマったのはハードコア・パンク(ニューエストモデルやローザルクセンブルグなどはもう少しあとで知ることになる)

とにかく速く、重く、ノイジーなバンドたちが80年台初頭から京都、大阪、名古屋のアンダーグラウンドで活躍していた。

ベースのラン子さんがかっこよかったCONTINENTAL KIDSをはじめ、THE原爆オナニーズ、ガーリックボーイズ、赤痢、あぶらだこ(ラフィンのドラム MARUが在籍)、全力オナニーズ(ちょっとお笑い入ってた)、どれも従来のパンクの枠をはみ出して面白いことをやっていた。

BOREDOMSの山塚アイ(現EYE)が当時やっていた「ハナタラシ」のパフォーマンスは、当時FOCUSなどの写真誌でも話題になっていたようだ。

(Wikipediaより抜粋)
・ユンボでライヴハウスの壁を壊しながら登場する。
・チェーンソーで猫の死骸を切り刻み、客席へ投げつける。
・ビール瓶をステージ上で割り、客席へ投げつける。
・大量の板ガラスを客席やフロアへ投げつける。
など

そんなバンドの中で特に好きだったのが「S.O.B(Sabotage Organized Barbarian)」。

今でも覚えているが、ある年の元旦の深夜番組で「関西ニューカマーバンド特集」のようなものをやっていた。その中の一つで、あるライブ映像がオンエアされていた。「Humanity Of Stupidity」


極端に短く(20秒くらい?)速い曲、痙攣したように波打つドラムス、マイクを両手で包みのたうちながら唄うスクリーミングボイス、モッシュ&ダイブしまくりのオーディエンス。全てに強烈な衝撃をうけた。

S.O.Bは後にグラインドコアと呼ばれるカテゴリの雄、NAPARM DEATHにも影響を与えた最高にかっこいいバンドだった。

ちなみに結成当初はオーソドックスなパンク(&ちょっとメタル風味)バンドだったらしいが、どんどん速さを極めていくようになったと聞いたことがある。

その頃、宝島か何かの雑誌の新譜コーナーで「Taste Of Wild West」というコンピCDが紹介されており、それにS.O.Bも3曲収録されているという情報をつかみ早速買ってみた。

このCDは当時の関西アンダーグラウンドシーン(特にアルケミーレコード周辺)の主要なバンドが網羅されたショーケースアルバムで、東京のビートパンクシーンへの大阪からのアンサーという意味もあったのではないだろうか。とにかく好きなバンドの代表曲ともいえる曲が入っているので今でもよくiPodで聴いている。


TASTE OF WILD WEST(1)TASTE OF WILD WEST(1)
(1998/09/23)
オムニバス

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当時、近所の京大生のYさんという兄ちゃんに家庭教師をしてもらっていた。

と言っても、英語のペーパーバックを読んだり音楽の話をしたり、ブルースギターのコード進行を教えてもらったり、こっそりタバコを吸わせてもらったり、あんまり勉強と関係ないことばかりしていた。

そのYさんが京大の映研に入っていて、「今度西部講堂で映画と音楽の大晦日イベントがあるから遊びに来るか」と誘ってくれた。S.O.Bもでるとのことだったので、もちろん行った。受験勉強の追い込み時期だったが。



ライブ前に上映された映画は確か「鉄男」だった気がする。田口トモロヲがカッコ良かった。

ライブにはガーリックボーイズ、コンチ、S.O.Bなどが出ていた。

正直ライブ自体はあまり良く覚えていないが、ダイブした客がコンクリの地面に頭から落ちて血だらけで踊っていたことは覚えている。

そしてとにかく寒かったので、客も演者もいたるところで焚き火にあたって酒を飲み、談笑していた。その中にS.O.Bのボーカル、とっつぁんの姿を見かけ、ファンなんですとか言って近づき、一言二言話せたのが嬉しかった。とても気さくに話をしてくれた。


後にとっつぁんは近鉄電車に飛び込み自殺してしまう。本当に残念だ。



ノイズでは非常階段やインキャパシタンツなども一部で人気があったが、当時の僕にはちょっと良さがわからなかった。しかしこれも後に大好きになる。

まあそんな感じで高校の後半はどっぷり関西アンダーグラウンドシーンのバンドにはまっていた。

そういったバンドについて、さすがに高校の友達とは共通の話題にならず、後に大学でバンドを組んだM君としか話は合わなかった。


一方、中学のテニス部仲間で近所に住んでたH君とは仲が良く、よく彼の家に遊びに行ってゲームをしたり音楽を聴いていた。

H君は僕と違ってLOUDNESSやアースシェイカー、VOWWOW、PRESENCEなどのジャパメタやBOOWYなど比較的メジャーなバンドが好きで、洋モノメタルだとRIOTなんかを教えてくれた貴重な友人だった。

そして、彼の部屋にはエレキギターとアンプがあった。

ギターはたしかフェルナンデスのストラトモデルを赤にペイントし、黒のビニールテープで高崎晃仕様にしたものだった。後にその高崎モデルは、黒ペイントに白テープで布袋モデルとなる。

中学時代にフォークギターを断念していた僕はよく彼の部屋で簡単なパワーコードを教えてもらい、ゲットザグローリーのリフをひたすら練習した。

それができるようになると、「YOUNG GUITAR」でパンダさんマーク(=簡単レベル)のBOOWYやZIGGYの曲のコピーをして徐々に色々な曲を弾けるようになっていった。

フォークギターと違って弦も細くて柔らかく(SuperSlinkyのExtralight)弦高も低くしてあったのでグリップしやすく、ギターを弾くことががどんどん楽しくなってきた頃だった。


しかし大学受験を控えギターどころではなくなってきたので、いったんギターからは遠ざかる。


その頃、夜中に受験勉強をしながらオールナイトニッポンを聴くようになるのだが、ここでも様々な音楽との出会いがあった。

それではまた。

taste.jpg













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